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ご紹介 京都文化博物館「オットー・ネーベル」展ご案内
「オットー・ネーベル」展
開催場所:京都文化博物館
開催期間:2018年4月28日(土)~6月24日(日)



詳細はこちら(ファイルが開きます)


◆MCEIライフメンバーの野中信夫氏よりご案内です。◆

「オットー・ネーベルって何者?」
MCEI会員の皆さんにもあまり馴染みがない画家なのではと拝察しています。
かく申す私も恥ずかしながら「誰それ」状態でした。
暫しご一緒に「オットー・ネーベル」調べにお付き合いください。

オットー・ネーベル(1892~1973)は、ドイツのベルリンで生まれスイス、ドイツで活動した画家です。しかし、彼は最初から画家を目指していたわけではなく、17歳の時(1909)ベルリンの建築学校で学び、建築技師として人生のスタートを切っています。その後、演劇学校にも通い演技を学び、俳優を目指しています。若さに任せていろんな分野に首を突っ込んでいく積極的な性格が窺えます。俳優としてデビューしようとしていた時に第一次世界大戦(1914~1918)が勃発して兵役に就きます。兵役の休暇中に観た「フランツ・マルク回顧展」に感銘を受け、画家としての取り組みを始めます。色彩豊かな明るい作品はマルクやシャガールから影響を受けていると言われています。感受性が豊かでもあったのでしょう。その後、1918年26歳の時イギリスで戦争捕虜になり、14か月間投獄されますが、戦争を批判した詩集を執筆します。多彩と言うほかありません。 1919年ベルリンに帰還し、1920年代半ばにワイマールに滞在し「バウハウス」(第一次世界大戦後の1919年ワイマールに設立された美術学校)で、抽象絵画の創始者カンディンスキーやクレーと出会い長きにわたる友情を育みました。
ネーベルは、1924年にバウハウスで出会った女性と結婚します。その後、俳優業をしながら絵画や詩の創作を行っていました。
1931年ネーベルは3か月間イタリアに滞在します。イタリアは、いつの時代も画家を魅了する土地であり、国であるようです。風景の中のモチーフは四角い色彩に置き換えられ、各都市の個性を色彩で表現しようとしています。
滞在中に制作した作品の中で代表的なものが、今回の展覧会ポスター、パンフレットに紹介されている《ナポリ》「カラーアトラス(色彩地図帳)」です。
1933年41歳の時、ナチスに退廃芸術と指定され、ドイツからスイスに亡命ベルンに住みますが、経済的に困窮します。 この時、カンディンスキーの力添えで、ニューヨークのグッケンハイム財団が作品を購入してネーベルの活動を支援しました(1936年~51年)。
1952年ネーベルはスイス国籍を取得します。1962年70歳の時イスタンブールなど近東各地を旅し、そこで見た民族美術の影響を受けて多数の絵画を制作しました。
1973年82歳で死去しました。ネーベルの作品は、現代アート・グラフィックデザインに大きな影響を与えています。

知られざる画家オットー・ネーベルの日本初の回顧展へぜひお出かけください。


(MCEIライフメンバー・京都文化財団評議員 野中信夫)

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